「人的資本経営」における,伝統と新しさ
人事の思想家と言うにふさわしい神戸大学の江夏先生に「人的資本経営ブームの本質は「測定」にあり」という観点からお話を伺います。
よろしくお願いいたします。
前回は、日本の雇用や人事が、従業員の人格を重視してきたことや、働く側も会社や上司、同僚の人格を重視してきたことが成り立ちの要素だったと話しました。
そのような状況の中で、最近話題となっている人的資本経営は、基本的にはそれをより合理的でスマートな形で実現することを指しています。
ただ、人的資本経営が本当に新しいものなのか、それとも伝統から引き継いだ要素と新しさが混ざっているのか、その点を見極めた上で、企業や人事として何ができるのかを話したいと思っています。
多くの視聴者の皆さんは、人的資本経営が新しいトレンドで、この2、3年ほどで急に言い出された言葉だと思ったかもしれませんが、実はこの言葉は古いものなのでしょうか?
そうですね、人的資本経営という言葉が広まったのは、中川さんが言ったように2020年前後からだと思います。
いわゆる人材版伊藤レポートの頃かもしれません。
ただし、人的資本という概念自体は200年以上前から存在しています。アダム・スミスが既に述べていたようなものです。
この記事は、人的資本経営ブームの本質は「測定」にあり。人事の思想家・神戸大の江夏先生インタビュー!【シリーズ人的資本経営】を元にした人的資本経営と日本の組織変革に関する記事です。
要するに、生産性の高い労働者とそうでない労働者、高い賃金をもらっている労働者とそうでない労働者の違いは何だろうと考えた時に、教育や仕事の経験などが異なるという点があります。
そういう意味で、人的資本というものが存在することが、200年ほど前から考えられ始め、特に1960年代からノーベル経済学賞を受賞したゲイリー・ベッカーなどの労働経済学者が関連概念を進めてきました。
その考え方を人事管理の研究者たちが取り入れて、経営的には人的資源という概念が生まれたのは1970年代からです。
つまり、一定の伝統があるのですが、最近はまるで新しいものであるかのように言われているので、学者としては少し不思議な気持ちです。大まかな歴史としてはこのような経緯です。
実は、私も今日初めて知りましたが、人的資源管理と人的資本経営というのは、同じ起源を持つのに、それが日本に翻訳され、受け入れられたタイミングの違いにより、2つの異なる言葉として共存しているようです。
そうなんです。人的資本と人的資源の関係だけを見ても、それだけで論文が書けるほどの深さがありますね。
元々、経済学や教育の分野で人的資本という考え方が存在し、それがこの4、50年間で経営学や経営実務の分野に取り入れられ、近年再びその見直しを促す機運が起きているというのが現状です。
今日はその具体的な実態について話すことができればと思っています。
「人的資本経営」ブームの不思議
最近の人的資本経営が実はかなり古い歴史を持っていることを知りました。では、最近なぜブームになったのでしょうか?
人的資本という概念自体は多くの人が何となく理解していると思いますが、実際にその人的資本を経営する部分がうまくいってこなかったという側面があります。
つまり、人的資本の経営は、単に人材の育成や経験を積ませるだけではなく、能力開発や成果の生かし方、適切な役割への配置などを含んでいます。
言い換えれば、単に能力に対して給与を払うだけではなく、人材の活躍のために配属や生産性の高い魅力的な職務を提供することなども人的資本経営の一環です。
ただ、これは新しい考え方ではなく、40年から50年前から学問の世界で議論されており、ベストプラクティスとしての企業も存在していました。さらに、2000年ごろには多くの企業が人事管理に取り組み、それが競争力に繋がることが示されました。
人的資本経営自体新しいものではありません。
ただし、なぜ現在こう話題になっているのかや、現代の人的資本経営をどのように定義すべきかを考える際には、現在の経営環境やテクノロジーの進化を見据える必要があります。
例えば、従業員が自分が会社からどのように評価されているのかを把握したいという意識や、自分のキャリアについての情報を得たいというニーズがあります。
会社が従業員の人的資本の状況を把握することは、単に配属の調整だけでなく、従業員とのコミュニケーションを円滑にするためにも重要です。
また、ステークホルダー資本主義の観点からも、株主だけに注目するだけではなく、従業員との関係も考慮する必要があります。
そのためには、会社の状況を可視化することが重要です。これによって会社にとって必要な経営資源や人材を見える化し、参加意欲を引き出すことができます。
そのためには、人的資本という概念を定義し、情報共有することが重要です。また、ピープルアナリティクスやHRテクノロジーと呼ばれる環境も整ってきており、現代的な人的資本経営を考える上で重要な要素です。
人的資本の「見える化」の例
現代的な特徴として、人的資本は近年のテクノロジーの進展や学術の発展により、メジャー化や可視化が可能になってきたと言えるでしょうか?
そうですね。従来は教育年数や職歴などが人の熟練度を表す代理変数とされてきましたが、その本質はわからないものであるとされていました。
しかし、最近では従業員のスキルや知識、態度やエンゲージメント、心理的な安定度など、さまざまな要素が統計的に分析可能になってきました。
さらに、それに影響を与える要因も分析されています。これにより、組織の分析が以前よりも容易になりましたが、分析的なアプローチだけでなく、組織の曖昧さも考慮する必要があります。
組織は単に分析的に捉えられるものではなく、分析を通じて見える化することが重要です。
そして、その見える化を可能にするためのテクノロジーや人的資本分析(ピープルアナリティクス)の発展も進んでいるため、現代的な人的資本経営の意義はこうした要素にあります。
いくつか、例を紹介していただいてもよろしいでしょうか?
最近流行りの概念の一つに「ワークエンゲージメント」がありますね。会社としては、従業員が働くことに意欲を持ってほしいと思いますが、その「生き生きと働く」とは何かは人によって異なる要素です。
そこで、「ワークエンゲージメント」という概念が注目されています。これによって、従業員の心理状態を計測することで、生き生きと働いている人とそうでない人の違いや、ワークエンゲージメントを高める要因などが明らかになるのではないかと考えています。最近では、会社が従業員のエンゲージメントを測るために、エンゲージメントサーベイなどを実施するケースも増えています。
こうした科学的な研究や測定方法を使うことで、会社と従業員の実態がより明確になります。
また、リーダーなども自分のチームのエンゲージメントレベルが他の部署と比べてやや高いことに気づくことができます。
例えば、部下へのフィードバックがエンゲージメントにつながることや、信頼して仕事を任せることがエンゲージメントに影響することが、数千人や数万人を対象にした研究からわかっています。
そうした知見をもとに、自分の職場の状態を理解し、改善策を考えることもできます。ただし、これまでの研究はアメリカやオランダ、中国などで行われており、日本の市場とは異なる可能性もあるため、日本の研究を絞り込んで情報を得る必要もあります。
このように、人的資本経営では、研究の知見が増え、測定手法も発展しています。そのため、より具体的に測ることが容易になっています。
その意味では、江夏先生は人事情報を定量化し、利活用することの重要性を強調しているのでしょうか?
はい、活用すべきだと思います。
基本的には曖昧な部分だからこそ、何らかの形で理解しようとするのは重要だと考えています。
それが個々の従業員が自身の状況を理解することでもあれば、職場のリーダーや経営者が全体の状況を把握することでもあります。
そのためには、ある尺度に基づいて理解することが大事になると思います。つまり、自分自身を映す鏡があれば自身の状態を知り、改善することが可能になるというわけです。
ただし、重要なのはどのような鏡を持つべきかということです。働いている社員一人一人、あるいは組織全体が自身の状況を理解できなければ、改善策は考えられません。そして、そのためにはどのような視点を持つべきかということが問われるのです。
例えば、一見素晴らしく見える働きぶりも、視点によっては自分の立場を見失っていると評価されるかもしれません。つまり、物事の見方によってその意味は大きく変わるということです。
「人的資本」情報のコミュニケーション
その上で、人的資本経営を考える際には、自分の測定方法が正しいのか、測定した結果が現場の実態を正確に反映しているのかという疑問を持ちつつ、より良い測定方法を模索し、その結果をどのように伝えるかというコミュニケーションの方法を工夫することが求められます。
その結果として、経営に関わるすべてのステークホルダーとの対話の中で、より良い経営形態を模索することが可能になると思います。それが人的資本経営の一番大事なところだと考えています。
大変貴重なお話をいただきました。
私たちがなぜ尺度を持つべきで、なぜ数字を持つべきなのか、さらにはどうアカデミアと関わりを持つべきなのかという視点まで含まれた、この議論は非常に合点がいくものでした。
私たちがなぜ測定しなければならないのかという核心に触れたものだと感じます。
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著者・監修者
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1982年生。経営学者/やさしいビジネススクール学長/YouTuber/東京大学 経済学博士
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専門は、経営戦略論・イノベーション・マネジメント、国際経営。
「アカデミーの力を社会に」をライフワークに据え、日本のビジネス力の底上げと、学術知による社会課題の解決を目指す。
「やさしいビジネススクール」を中心に、YouTube・研修・講演・コンサル・著作等で経営知識の普及に尽力中。
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神戸大学 経済経営研究所准教授。
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2008年一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得満期退学。2009年に同大学より博士(商学)を授与。名古屋大学大学院経済学研究科准教授を経て、2019年9月より現職。『人事評価の「曖昧」と「納得」』(NHK出版)、『コロナショックと就労』(共著・ミネルヴァ書房)など著書多数。日本労務学会会長。
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