ドラッカーの仕事論編の最後となります第3回は、仕事の生産性をどうやったら高めていくことができるのかについての議論です。これについてドラッカーは、主として動機付けの視点から分析を行っています。
動機が大切
ドラッカーは、仕事はもちろん段取りが大切で、どういうプロセスを組んでどういう管理の仕方をするのかも大切なんだけれども、結局のところ動機がしっかりしているということが、本質的な生産性のポイントになるとしている。
結局、やる気があれば、最初はぐちゃぐちゃに始まった仕事でもだんだん整っていく。そう、やる気があれば、スタートがどういう形でも、最後はまとまるんです。どうやったらもうちょっと上手にできるのか、どういう管理の仕組みを作るのか、そういったところにも、知恵と工夫をどんどん働かせようとするからです。
そう考えると、本質は動機付けだよな、というのは鋭い指摘だと言えるでしょう。
マクレガーのX理論、Y理論
動機付けについて、ドラッカーは当時流行っていた「マクレガーのX理論Y理論」というものを持ち出して批判的に検討する。このマクレガーのX理論Y理論を簡単に説明しますと、X理論というのは、人間の基本的な管理手法として位置づけられるもので、いわゆるアメとムチです。これだけ頑張ったらこんなお給料あげますよとか、これだけ頑張らないとお前には罰を食らわしてやるぞ、という。人間は怠惰で、基本的に働きたくない生き物なのでこのアメとムチを使い分けて、無理矢理に働かせる。これが従来のマネジメントとして広がっていたのだ、とマクレガーさんがそのようにX理論を位置づける。
これに対してY理論というのはもう1レベル高次の人間観に立って、高度に発達した文明のもとで人間は自己実現や創造性を発揮する。そこで、自己の尊厳を高めてあげたり、自分がやりたいことができている状態にさせてあげることで動機が高まる。一人前の人間として扱っていくことが大切なんですよ、というのがY理論なわけです。
マクレガーは、X理論とY理論という二つがあって、どっちをとりますか(これからの時代はYですよね)、という論調で当時大きな評判になったのです。もちろん、マクレガーは、状況によってXとYを使い分けようともいうのですが。
ドラッカーはこれに対して、XもYもどちらも限界がある手法だと批判する。
ドラッカー理論のポイント
皆さんもちょっと考えてみてください。X理論、飴と鞭をくれてやるんだ、Y理論、自己実現や創造性を助けてあげるんだ、果たしてそこにどういう問題があると思いますか。
いろんな答えがあっていい。そう、皆さんなりに考えた、皆さんの考えていただいたことは、いずれもとても尊い。なぜなら、自発的に考え、自発的に答えに至っているからです。
マクレガーのX理論Y理論には、これがないのだと、ドラッカーは批判するのです。
言うてもですよ、その半世紀近くにわたってコンサルティングと経営学教育に携わってきたドラッカーが長年の経験から生み出したのがこういうポイントでした。皆さんも納得感あるんじゃないかと思います。
結局のところ、飴と鞭をくれてやるにしても、尊厳や自己実現をくれてやるにしても、くれてやっている、すなわち与えられている限りは、結局人間は、他律的に他人にコントロールされてしまう状態であって、これではどうしたって限界があるんだと言ったわけなんです。
実はこれ、私の「中川先生のやさしいビジネス研究」「やさしいビジネススクール」でも、これから先のマネジメントは自立になるんだってことをいろんなところでお伝えしたんですけども、古くは半世紀前、ドラッカーが既にこのように論じているわけなんです。
人間として、主体性・自律性を持って自分事として物事に取り組めれば、人は働き甲斐を感じられる、と。彼はそれを自分自身の経験や見聞きしたことから、事例を挙げてこの結論を導いています。
例えば、国家存亡の危機にひんして駆け回る愛国者達、なかなか日本でイメージしにくいと思うんですけど、日本で言うと尊皇とかの志士ですよね。幕末の志士たちへと言われる人たちっていうのは存亡の危機にあって、自らを省みることなく課題を解決しようと駆け回った。彼らは本当に熱い動機に燃えて仕事をしていたわけです。
あるいはドラッカーは20世紀日本の企業のこの一体感、人々の仕事にかける情熱度はすごいと、その原点には日本固有の当時の文化というものがありまして、組織の成功と自己の成功を同一視することができる。自分たちの会社が成功するというのは我が事のように喜べて、例えば企業チーム、スポーツクラブみたいなのがあったとすると、それが勝つと自分は別にそのスポーツチームと関係なくてもすごく嬉しい。
こういう集団と個人を同一視できるのが東アジアの特徴なんですけれども、このような観点から、組織の成功のために粉骨砕身努力ができていた20世紀日本の労働者たちもまさに熱い動機に燃えていたとするのです。
はたまた、ドイツ。ドイツには徒弟制というのが色濃く残っていて、職人というのは非常に尊敬され、誇りを持って働いていたと、仕事も自分たちなりにデザインすることができていて、それを色濃く残していた高額メーカーのツァイスさんではその職人集団が自分の仕事に誇りを持って、これは自分にしかできない仕事なんだ、社会にとって大切な仕事なんだ、そのような動機に導かれていたから、ものすごく技術力が高く品質の良い商品が作れていたと。
これらの事実をもとに、ドラッカーはやっぱり人間自分ごととして自分にとって大切なミッション、大切な問題として主体的に働くことができれば良いのであるとすれば、これを体系化することができれば、企業のマネジメントとして望ましい形が作れるんじゃないか。そのように言ってるわけなんです。
レスポンシビリティ
ドラッカーはこれを当時の感覚当時の言葉で、仕事に責任を持たせる:レスポンシビリティだというふうに言ってるわけなんです。ちょっと現代的な語感から、あるいはこの21世紀の肌感からするとちょっとずれるかなと思うかもしれないんですけども、20世紀の時代背景を考えると、労働者は、仕事を他人ごとにしていて、自分はもう働かされているだけという感じだったからいけないのだというのです。だから、仕事を自分のものにするためには、レスポンシビリティ。この仕事はあなたの大切なミッションだ。あなたに任された仕事なんだということで、レスポンシビリティ、責任を負わせるのだ、責任を持たせるのだということが大切になるんだと言ったわけです。
ただ、ここで注意すべきは、ここまでの文脈をよく注意しておいてほしくて、責任は「与えられた」のでは意味がないのです。自発的に、責任を感じることが大切なのです。ですから、現代の語感・肌感で言えば「責任を持て」ではなくて「自分事として仕事をとらえられるようになろう」が良いのではないかと思います。
言っても責任を負わされてしまった日には、「やらされ」なんですよね。これは他人によるコントロールだから、うまくいくわけじゃない。内発的に仕事に対して動機を持てるように、自発的な責任意識を育てることが大切なんだ、これがポイントなんです。
結局与えられるか、内から出る動機か、この違いがポイントになります。
そのためにドラッカーは大きく三つのことが大切だと論じています。その後後世の研究では、様々な仕事を自分事にするための方法が明らかにされていくんですが、まずはドラッカーが3点を挙げている。
まず第1には、ちゃんと仕事をこなせるようなツール、ノウハウそういうものをちゃんと働き手に移転してあげるということ。単にお前に任せた、お前の思うようにやってみろ、では逆に人のレスポンシビリティ、責任感というのが育たない。ちゃんと、やれるだけのリソース、人員やお金がきちんと与えられて、知識も伝授され、時間も猶予も与えられ、そういったものがきちんと与えられていて、うん、自分はできるなと思わせなければ、やっぱり無理ゲーになってしまうわけです。日本のブラック労働というのはこれかもしれない。責任だけ与えられて、お前がやってみろと、できないと責任を取らせる。これでは駄目なんだと。きちんと実行が可能になる一連のものを与えられたときに、人は任されている、これならできるし、これはやり遂げてみせようというふうに思えるんだということ、とっても大切なポイントですね、第1にはこれ。
そして第2には、自己管理手段として、フィードバックをきちんと与えてあげるということ。そう、結局自分で管理するセルフマネジメントができないといけないわけですから、そのためには何なのかというと、必要なその自分がどれくらい達成できているかの情報フィードバックが与えられるということが大切。なのでこの仕事の進捗状況、出来栄え状況というのが見える化されているということ、彼はそれをフィードバックという表現を使っていますが、フィードバックによる自己管理が可能になっているということ。
そして第3には、学習と革新をその働き手に委ねるということ。継続的に学習をして継続的に知識の水準が高まっていくという状態を実現する。すると、この働き手としては、この仕事をもっとこういうふうにやった方がいいという形で仕事を自らイノベートとしていくことができるわけですね。その源泉になってくるのが、しかもその個人として体得された知恵、知識なのだとすれば、個人が生涯を通じて継続的に学習し、それを通じて仕事をどんどんどんどんと改善していく。そのような構造を作れれば、仕事はどんどんとその人の手にあるものになっていくわけなんです。
かくして、ドラッカーがこの一連の仕事論編で述べているゴールになってくるのは、結局のところ、1人1人が自分自身の自らのマネージャーになっていく、誰かに管理されるのではなくて、自分が自分を管理できるようになっていく。それによってこれから先の仕事環境というもの、働き方というものが出来上がってくるんだと、このように述べてるんです。
決して古くない論調だということはわかるはずです。ドラッカーはもう半世紀ぐらい前にですね、こんなことを言ってるわけです。ドラッカーばかり持ち上げてるわけじゃないですけれども、現代においても刺さりますよね。他人にコントロールされている分には、どうやったって仕事はなかなかモチベーション上がってこない。ですけれども、自らが自らのマネージャーとして自立ができている、セルフマネジメントができているなら、仕事というものはどんどんやりがいのあるものになっていくわけです。
まとめ
かくして、ドラッカーはこの一連のセッションの終盤でこのように述べています。
誰もが自らをマネジメントの一員であるとみなすような組織を作り上げることというのが、社会として目指していくべき未来の方向性なのだと言っても、この主語一連の仕事論の編で第1に述べていたのはこれからの社会は、雇われる側が99%になる社会なのであって、それって自分自身にビジネスをしてるわけじゃなくて、他人のビジネスのために人生を捧げるということが、人類の暮らし方として一般的になるのだと。
だとすれば、このような状態の中にあって一人一人がきちんと仕事に対して責任意識、主体性を持って取り組めるようにするためには、一人一人が自分の人生の主役は自分自身であると、自分自身が自分自身をきちんとコントロールできているという状態になること、そのような意味において、全ての人がマネージャーである、全ての人が経営者なのであるというような状態、これが社会の向かうべき方向なんじゃないかと言っているわけです。
いかがでしたでしょうか?
3回にわたってお届けしてきたドラッカーの仕事編なんですけれども、それぞれに私達が今働く上で大切なこともきちんと伝えられているんじゃないかと思います。ぜひですね、この一連の仕事論の話というのも、使える部分をあなたの仕事の中に、あなたの日常の中に組み込んでいって、あなたが明日からを生きるための力に変えてもらえたらと願っております。
著者・監修者
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1982年生。経営学者/やさしいビジネススクール学長/YouTuber/東京大学 経済学博士
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専門は、経営戦略論・イノベーション・マネジメント、国際経営。
「アカデミーの力を社会に」をライフワークに据え、日本のビジネス力の底上げと、学術知による社会課題の解決を目指す。
「やさしいビジネススクール」を中心に、YouTube・研修・講演・コンサル・著作等で経営知識の普及に尽力中。
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