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【フレーミング】印象操作の科学。「8割賛成」と「10人中2人反対」で印象が変わるのはなぜか【行動経済学7】

更新日:7月20日

印象操作の科学「8割賛成」と「10人中2人反対」で印象が変わるのはなぜか【行動経済学7】

行動経済学の第7回目は、印象操作の科学と題しまして、私達の印象というものが世の中でどのように操作されているのか、その基本原理を知っていただきまして、そこから身を守るためにはどうしたらいいのか?逆にそれを上手に利用するためには、どうしたらいいのか?そんな話をしていきたいと思います。

目次

印象操作の科学

私達は、実際のところの印象操作というものから、どうしたって逃れることができません。

それは、行動経済学が明らかにしてきたように、私達の人間としての本能だからなんです。

だとすれば、私達の本能がどういうものなのか、その点を皆さんは知っておく必要があります。

まずは、こんな例からいきましょう。80%の人が満足しています。ということと、10人のうち2人は納得していないんです。と、こういう表現。言ってること同じなんです。

同じデータに基づいて、この2つの言い方が可能なわけなんですけれども、これによって受ける印象は全然変わってきてしまう。

それって、どういう脳の作用なのか、ここから話を進めていきたいと思います。

「印象操作」からは誰も逃れられない

最初にまず大前提としてお伝えしておきたいのが、私達人間は話す側も聞く側も、印象操作というものから逃れることはできないんです。私達は誰もが無意識のうちに印象操作というものに影響されているし、なんなら自分もしてしまっているのです。

実は昔からそうだったのですが、情報リテラシーの高まりを受けて、これって印象操作だよなあ…そんなふうに私たちは理解できるようにもなってきた。それが、こんにちのマスメディア叩きに繋がっています。マスメディアも、政治家も、どうしても、どちらかに印象をもたせるように表現してしまう。

しかし、繰り返しますが、これは人間の本能。私達が何か行動するとき、他人に対して訴えかける時というのは、もう常にそこに印象操作というのは入ってしまう。

どちらかにしか、表現できないのですから。8割が賛成と言うか、2割が反対と言うか。そして、どちらかの表現を使った瞬間に、それはあなたが問題をどう捉えているのかの「枠組み」(フレーム)を示してしまうことになる。

企業経営の中でも、企業さんの中で見られるレポート、あるいはクライアントさんに出すレポートというのは、ある種の印象操作ということから逃れることはできませんし、そして残念ながら、学者が書く論文であったとしても、やっぱり同じことが起こるわけです。

8割賛成と言うか、2割反対と言うか。どちらの表現が使われるのか、それはもう、選択せざるを得ない。

どちらも嘘・偽り・誇張もない。

そして一方で、情報を聞く側の人間も、もう聞いたときには、その文脈の話の流れの中で、だからこういう言い方するんだな、というのを私達は脳が無意識のうちに解釈をしてしまう。

だから、印象操作をしてしまう。されてしまうのは、避けようがないことなんです。

「フレーミング」

人がどういう風に物事を解釈するか、その認知のかたちのことを「フレーム」:認知枠組み、といいます。このフレームというものを示し、相手にそのフレームを提供することを、フレーミングと言います。

フレーミングのための行動をフレーミング行動といい、フレーミングが相手の中で起こることをフレーミング効果とか言ったりします。

フレーミングは、私たちが言語を使ってコミュニケーションすることに起因します。テレパシーではない。言語というのは完璧な通信手段ではなくて、情報を要約して伝えることになる。

一方で、聞き手側も、そのグッと詰められた情報を再び脳内でイマジネーションして、自分の中で再現する。脳が解釈して、聞き漏らした部分も含めて、補完をするのです。文脈から推測をする、そういう力が備わっています。

これが、言語でコミュニケーションをするということです。私達はニュータイプじゃない。

例えばこういう話があります。英語のネイティブの人は、canとcan’tを事実上聞き分けていない。もうこの後ろについてるtって、文脈の中や声色で判断している。I can playなのか、I can’t playなのか。

これが、フレーミングというもので、限られた情報の中から私達は勝手に解釈をするんです。

利用法

では、「フレーミング」はどのように行われるか。実は、非常にシンプルなんです。

ポジティブに文脈を作れば、情報はポジティブに伝わるし、ネガティブな文脈を構築すれば、ネガティブに人々に伝わる。話し手が何を言わんとしているのかを私たちはその文脈や様子から解釈するのですから、話し手がポジティブに語るかネガティブに語るかが、そのままフレーミングになります。

全体の文脈が肯定的であれば、出された数字というのは肯定的な文脈を語るための数字として判断する。実はそんなにポジティブな情報じゃなかったとしても、これはポジティブな事項を補強するデータである、とみてしまうんです。

だから、先ほど見たような事が起こる。「80%の人が満足しています」ということが、そういう全体文脈の中で数字を見せられたら「80%多くの人が満足しているんだな」と納得しますし、また逆の文脈で「いや、この問題に関しては、10人中2人までもが反対の声を上げているんです」といった文脈で語られたとしたら、「ネガティブな情報なんだ」と解釈をしてしまうんです。

これを踏まえて、どう使うか。

まず、もし皆さんが、こういう書き方したら印象操作をしちゃうよな…という局面に立ったときに、どう振る舞えばよいか。

その結論は、あなたが感じるままに表現すればよい、です。あえてニュートラルに表現する必要なんて一切ない。

どうせ、あなたには結論が出ているからです。この話をした中で、結論をどちらに誘導したいのか。戦略的に、あえてネガティブな情報を見せたほうがよい、ということもあるでしょうが、なんにせよあなたには導きたい結論がある。であれば、自分はもうフレーミングをしてしまうことからは逃れられないのだということを認めてしまったうえで、堂々と話しましょう。

一方で、聞き手のほうだって、ニュートラルになんて聞けないのです。話を聴きながら、自分なりのフレームを作っていく。最初からネガティブならネガティブなフレームとして聞くし、逆も然り。

話し手も聞き手もどうせフレーミングするのであれば、わざわざ自分のフレームを弱くさせるような話し方なんて、する必要はないのです。堂々と、考えるところを述べましょう。

対策

一方、このフレーミングに出くわしたときには、皆さんはどう対応していけばいいのか?

対策としては、意図的に逆のフレーミングで物事を読んだときに、どう読めるのか?ということを試してみることです。

8割の人がイエスと言っています、といった情報が入ってきた瞬間に、先ほどと同じ処理をするんです。2割の人は、反対をしているんだよな、というフレーミングを自分で作ってあげて、それで自分なりに分析をして、プラスとマイナスの両面から解釈して、自分なりになるべくニュートラルな評価をするならどうなるだろうか?これをやるしかない。

そして実際のところ、このように人々がニュートラルな解釈をできるようにするためにこそ、あるべきメディア、学会、社会システムは、「反対意見や別の解釈を提示する」仕組みを内包せねばいけないのです。

アカデミアの中では、私達は、フレーミングから誰もが逃れられないってことを大前提にして、反論・反証の余地を必ず残し、それを試みることになっています。

メディアの中でも、本当は批評家・コメンテーターというのは、話し手の内容に頷くのではなく、また視聴者におもねるのでもなく、異なる視座を提供することが求められている。

異なるフレーミングを与えてあげて、問題の検証を深めるのです。

メディアのあり方において、このフレーミングがどちらかに寄っているから、印象操作だ。というふうに言われてしまうんです。

***

かくして、印象操作というものが、私達の人間的な、生物的な、本能に立脚してるものなんだ、ということを皆さんはぜひ理解いただければと思います。

情報発信時には、自分のフレームをむしろ明確にすること。

情報受信時には、意図的に異なるフレームを試してみること。

ぜひ、心に留めて頂ければと思います。

著者・監修者

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