中川先生のやさしいビジネス研究、特別講義シリーズ「人的資本経営」では、産学官それぞれから日本の第一人者の方々をお招きし、人的資本経営に関する現状や重要なキーワードについてお話を伺っております。
本日のゲストは、越境学習というテーマで非常に注目されている法政大学の石山恒貴先生です。
石山先生、今日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
石山先生は、これからの時代において、増えていくシニア世代が社会や企業の中でどのように活躍していけば良いかについての分析を行っていらっしゃいます。
今日は、そうした話題についてお話を伺う予定です。
よろしくお願いします。
SSTとSOC理論のジョブクラフティングへの応用
それでは、中川先生からご紹介いただいた通り、特にシニアの方の働き方について、応用しやすい考え方をご紹介したいと思います。
テーマは「SSTとSOC理論のジョブクラフティングへの応用」です。
これには3つの難しいキーワードが並んでいますので、順番に説明していきます。よろしくお願いします。
確かに、SSTやSOCといわれると何のことかわからない方も多いと思います。よろしくお願いいたします。
それでは、お話を進めさせていただきます。
この記事は、シニア活躍の鍵!SST・SOC・ジョブクラフティング、一気に学んでしまおう! 法政大学・石山恒貴先生【特別講義シリーズ 人的資本経営5】を元にした人的資本経営と日本の組織変革に関する記事です。
職務設計 VS ジョブ・クラフティング
出所)Berg, J. M., Dutton, J. E., & Wrzesniewski, A. (2013). Job crafting and meaningful work.Purpose and meaning in the workplace, pp.81-104,p30,Figure1
まず、「ジョブクラフティング」という言葉から説明します。ジョブクラフティングは最近時々、社会で使われ始めた言葉です。クラフティングは「作り出す」ことを意味します。なので、ジョブクラフティングとは働く人自身が自分の仕事を創造する、つまり職場での仕事を再創造することを指します。
これを具体的に説明しますと、通常の仕事は会社やマネージャーが設計し、それを従業員に指示する形です。これはトップダウン型のやり方であり、基本的な「ジョブ型」の働き方です。つまり、会社やマネージャーが指定したジョブを従業員が職務記述書(ジョブディスクリプション)に従って実行する形です。
しかし、このトップダウン式の働き方だと、「やらされ感」が強くなり、自分自身の仕事の意味や意義を見つけにくい場合があります。それに対して、ボトムアップで働く人自身が仕事を創造することが重要だと提唱されてきたのがジョブクラフティングです。これには、自分にとっての仕事の意味や意義を自分で作り出すという大きな意味があります。
ジョブクラフティングの定義
「従業員が、自分にとって個人的に意義のあるやり方で、職務設計を再定義し再創造するプロセス」
出所)Berg, J. M., Dutton, J. E., & Wrzesniewski, A. (2013). Job crafting and meaningful work.Purpose and meaning in the workplace, pp.81-104.
重要な点は、ジョブクラフティングは個人が自身にとって意義のある内容を創造するということです。これにより、従業員は「やらされ感」から解放され、仕事が楽しみ、意義あるものに変わっていきます。
社会情動的選択性理論
Socioemotional Selectivity Theory(SST)
- 高齢者は自身の生涯に短い展望を持っている
- 感情的により意義のある目的や人との交流を重視
- 自己概念に基づき価値ある情報だけを限定して求める
- 他者との関係性にはおいて、より親密性を重視
- より自分に整合した感情、自己概念、情報探索を獲得することができる
出所:Carstensen, L.L. (1995), ‘Evidence for a life-span theory of socioemotional selectivity’, Current Directions in Psychological Science, Vol. 4 No. 5, pp.151–156.Carstensen, L.L. and Mikels, J.A. (2005), ‘At the intersection of emotion and cognition: aging and the positivity effect’, Current Directions in Psychological Science, Vol. 14 No. 3, pp.117–121.
それでは、次に”SST”というものについて解説します。ここに書かれている通り、SSTとは”社会的選択性理論”のことを指します。具体的には、例えば60歳の人が考える「残された時間」は、20歳の人が考えるそれとは大きく異なります。つまり、年齢が高まるにつれて人生の「時間展望」が短くなるのです。
それでは、この「時間展望」が短くなるとどうなるのでしょうか。若い時期では、時間がたくさんあると感じ、未来に向けてさまざまな経験を積みたいと思うかもしれません。そのため、ちょっと嫌な人とでも交流を持ったり、やりたくない仕事でも経験として挑戦したりすることを選ぶかもしれません。しかし、時間展望が短くなると、自分にとって親密な人や意義のある人とだけ関わりたいと感じたり、自分が本当にやりたいことだけに集中したいと思うようになります。これが「社会的選択性理論(SST)」の考え方です。
SSTは、「エイジングパラドックス」とも関連しています。エイジングパラドックスとは、人が感じる幸福感が年齢とともに増すという現象です。身体的な衰えや死の近さを感じる年齢になると、本当に幸せになるのかと疑問に思うかもしれません。しかし、実際には年を取るほど幸福感が増すというのがエイジングパラドックスです。SSTは、この現象を説明する理論の一つです。つまり、時間展望が短くなるほど、より親密な人と関わり、意義あることだけに集中するため、幸せになるという考え方です。
また、この理論は高齢者だけでなく、余命宣告を受けた人にも適用され、同じ現象が起こることが研究により確認されています。
それでは、なぜこのSSTとジョブクラフティングが関係するのかというと、ジョブクラフティングは自分にとって意味のある、意義のある仕事を作り出すことです。一方、SSTは自分にとって意味のある、意義のあることを重視するという理論です。つまり、シニアの方々は、SSTの考えに基づいて自分にとって意義あること、意味あることは何かということをより強く考え、それをジョブクラフティングに活かせば良いという考え方があるということです。
仕事の有意味性:SSTの観点から意義を見直す
- 仕事の意味→仕事を本人がどう感じるかということ
- SSTに基づき、本来的な仕事の意味を追求する
- 自分の価値観をとらえなおす
次に、SSTについて考えるという意味で言いますと、本来、自分の仕事の意味とは何だったのでしょうか。
例えば60代以降では、自分の価値観を再考し、意義のあることや自分の価値観にとって意味のあることは何かを振り返って考えることが求められます。シニアの方々こそ、自分の価値観とは何か、自分の仕事の意味とは何かを考えるべきではないかという話が出てきます。これは、仕事の有意義性を考えると言ったりします。
選択最適化補償理論
Selection Optimization with Compensation (SOC)
- 高齢者とは一方的に喪失していく存在ではない
- 人の発達において喪失と獲得は切っても切り離せない、両者はコインの裏表
- SOC理論では獲得の最大化と喪失の最小化を目指す
- 選択loss-based selection 、最適化 optimization、補償 compensationという3つの方略から構成される
出所:Baltes, P.B. (1997), ‘On the incomplete architecture of human ontogeny: selection, optimization, and compensation as foundation of developmental theory’, American Psychologist, Vol. 52 No. 4, pp.366–380.Baltes, P.B. and Baltes, M.M. (1990), ‘Psychological perspectives on successful aging: the model of selective optimization with compensation’, Baltes, P.B. and Baltes, M.M. (Eds.), Successful Aging: Perspectives From the Behavioral Sciences, Cambridge University Press, New York, pp.1–34.
SOC理論について説明します。これは「セレクション」「オプティマイゼーション」「コンペンセーション」という3つの要素から成り立つ理論で、それぞれが高齢者にとっての戦略として機能しています。これは、発達心理学、特に障害発達心理学の一派から派生した理論です。かつての障害発達心理学は、高齢者が衰えていくものとして捉え、衰えをいかに抑えるかを語るものでした。
しかし、SOC理論では、人間が何かを失うことにより何かを得る、そして何かを得るためには何かを失う、という観点から考えます。高齢者は、体力の衰えや若い頃に可能だったことの喪失といった現象に直面するかもしれません。しかし、SOC理論では、何かを失った高齢者が実際には何かを得ることが可能であると主張します。ただし、何も努力をしなければ、ただ喪失するだけの可能性があります。そこで、「選択」「最適化」「保証」の3つの戦略を用いて、失ったものを補い、新たな価値を獲得しましょう、というのがSOC理論の主張です。
SOCの具体策
選択
- 目的を特定する
- 重要な目的に絞る、新しい目的を探す、目的の構造を再構築する
出所:Baltes, P.B. (1997), ‘On the incomplete architecture of human ontogeny: selection, optimization, and compensation as foundation of developmental theory’, American Psychologist, Vol. 52 No. 4, pp.366–380.
「選択」とは、従来とは違った目的を絞り込む、または新しい目的を探すことを意味します。喪失していく中で全く今までと同じ目的を追求するのは適切ではないかもしれません。たとえば、「会社で出世する」などの、以前と同じ目的を持ち続けるのではなく、新たな目標を見つけるべきです。
最適化
- 時間の配分、スキルの習得、新しいスキルと資源の習得、成功している他者を模倣する、自己開発に自身を動機づける
出所:Baltes, P.B. (1997), ‘On the incomplete architecture of human ontogeny: selection, optimization, and compensation as foundation of developmental theory’, American Psychologist, Vol. 52 No. 4, pp.366–380.
「最適化」は、新しい目的を設定したら、その達成のために時間の配分を変えたり、新たなスキルを習得したり、自己開発を進めることを示しています。高齢になっても、新しい目的に合わせて自己開発を進めることが重要です。
補償
- 焦点化・努力・時間の配分を増やす、未使用のスキル/資源の活性化、補償につながる成功例の模倣、他者の助けを得る
出所:Baltes, P.B. (1997), ‘On the incomplete architecture of human ontogeny: selection, optimization, and compensation as foundation of developmental theory’, American Psychologist, Vol. 52 No. 4, pp.366–380.
「保証」は、今までとは違って実行できないことが出てきた時、他の人の助けを借りたり、これまで使っていなかったスキルを使って補ったりすることを意味します。
手術室看護師の例
- 選択→介助する術式を厳選
- 最適化→スピードの遅れを器械でカバー、イメージトレーニングを念入りに、厳選した術式を極める
- 補償→衰えを公言して他者を頼る
出所:倉藤晶子(2021)「術中看護を実践する中高年看護師の職務継続への意思決定プロセス」法政大学大学院政策創造研究科修士論文
これらの概念は、具体的には手術室看護師の例で説明できます。手術室看護師は、手術の補佐という非常に緊張感のある仕事をしています。しかし、年齢を重ねるにつれて、身体的な衰えや物理的な制約が出てきます。その中で、「選択」は、自分が介助できる手術の方式を得意なものに絞り込むこと、「最適化」は、手術のスピードが遅れる部分を補うための工夫やイメージトレーニングを行うこと、「保証」は、できなくなった部分を後輩の看護師に依頼するためにプライドを捨てることを意味します。
これらの行動は一見つらそうに見えますが、手術室看護師がこれらの戦略を採用した結果、他者を頼るという新しいコミュニケーションスタイルを獲得し、周りの人との関係性が改善したという報告があります。つまり、「保証」は、新たなスキルやコミュニケーションスタイルの獲得でもあるということが、この研究から明らかになりました。
シニアにとって大切なことは、「最適化」のために明確に捨てるべきものを決め、メリハリをつけることという感じでしょうか?
まさにその通りです。だからシニアになっても専門性を追求することが可能だと思います。しかし、それが全面的に若い人に絶対に負けたくないという思いから全てに全力を注ぐのではなく、特定の分野に絞り込み、自分より年齢が若い人に頼るなど、明確な選択をすることで、シニアならではの新しい知恵を獲得できると思います。
SOCはジョブ・クラフティング
- 選択→目的の変更=認知次元
- 最適化→時間の配分、スキルの獲得=タスク次元、他者の模倣=関係次元、自分の動機付け=認知次元
- 補償→成功例の模倣、他者の助けを得る=関係次元
出所:Baltes, P.B. (1997), ‘On the incomplete architecture of human ontogeny: selection, optimization, and compensation as foundation of developmental theory’, American Psychologist, Vol. 52 No. 4, pp.366–380.
「SOC理論」と「ジョブクラフティング」がどのように関係しているかです。実は、「ジョブクラフティング」はレズネフスキーという研究者たちが提唱しています。
彼らによると、ジョブクラフティングは3つの要素から成り立っています。
一つ目は「認知次元」、つまり、自分の仕事に対する意味付けを変えることです。これがジョブクラフティングの一部分であると彼らは主張しています。二つ目は「関係次元」であり、仕事で接する人々との関係性、または関わる人々自体の種類を変えることを指します。最後の要素は「タスク次元」で、これは新しい業務を生み出すことを意味します。
これらを考慮に入れると、SOC理論とジョブクラフティングは密接に関連していると解釈できます。例えば、「目的を変える」ことは、ジョブクラフティングにおける「自分の仕事に対する意味付けを変える」ことで、これは認知次元に該当します。「新しい時間の配分をしたり、スキルを獲得したりする」ことは、「新しい業務を作り出す」ことで、タスク次元になります。また、「他人のやり方を真似る」ことは、「人との関係性が変わる」ことで、これは関係次元に当たります。そして、「自分をどう鼓舞するか」も、「自分の仕事に対する意味付けを変える」ことで、認知次元に該当します。さらに、「成功例を模倣したり、他者の助けを得たりする」ことは、「後輩との関係性が変わる」ことで、これも関係次元に該当します。
このように、SOC理論はジョブクラフティングが主張することと多くの共通点を持っています。したがって、SOC理論に基づきながらジョブクラフティングを進めることで、シニアの方々にとっては理解しやすくなるのではないでしょうか。
以上のように、「ジョブクラフティング」「SST」「SOC理論」を組み合わせて働き方を変えていく提案を今日はお話ししました。
ありがとうございます。
シニアがウェルビーイング(幸福感)を感じながらどのように活躍していくかというときに、選択をして、自分のウェルビーイングや幸せ、または目的につながることに焦点を絞ることが大切ですね。
つまり、それを達成するためには、余計なものを排除し、必要なものだけを選び出すことが、これからのシニアの生き方として重要なのかもしれません。
そうですね、まさにおっしゃる通りです。
自分にとって意義がある新しいことを始めることが、シニアのウェルビーイングや幸せにつながると思います。
例えば、伊能忠敬は49歳で飲酒を止め、酒屋で大成功を収めた後、自分が真に学びたい天文学や歴史学を追求するために江戸に移りました。その過程で、天文学を深めるために始めた測量が最終的に日本地図の制作につながったと言われています。
こうした話を聞くと、シニア期は自分が本当にやりたいことを追求できる、非常に幸せな時期である可能性があると感じます。
そのエピソードは、まさにシニアにとっての模範となる素晴らしい事例だと感じました。
伊能忠敬がそんな人物であったということを、私もしっかりと心に留めておこうと思います。
本日、法政大学の石山先生からお話を伺うことができて、非常に有意義でした。もっとお話を聞きたいと思った方は、やさしいビジネススクールが主催する特別セミナーシリーズ「人的資本権の最前線」に参加してみてください。
2023年6月2日の20時から、完全無料で石山先生から直接お話を聞くことができます。皆さんの参加を心からお待ちしております。
どうぞよろしくお願いします。
優しいビジネススクール主催の特別セミナーシリーズ「人的資本権の最前線」では、石山恒貴先生による完全無料の特別講演が、2023年6月2日20時から開講となります。
無料ですので、石山先生の話をさらに聞きたい方は、ぜひご参加ください。
著者・監修者
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1982年生。経営学者/やさしいビジネススクール学長/YouTuber/東京大学 経済学博士
詳しい講師紹介はこちら website twitter facebook youtube tiktok researchmap J-Global Amazon
専門は、経営戦略論・イノベーション・マネジメント、国際経営。
「アカデミーの力を社会に」をライフワークに据え、日本のビジネス力の底上げと、学術知による社会課題の解決を目指す。
「やさしいビジネススクール」を中心に、YouTube・研修・講演・コンサル・著作等で経営知識の普及に尽力中。
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研究領域は経営学、越境学習(越境的学習)、実践共同体、キャリア開発、タレントマネジメント、ジョブ・クラフティング、人的資源管理 、組織内専門人材、ワーケーション 。
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法政大学大学院政策創造研究科教授(博士)
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